2010年04月07日
つくばからプロチーム
紹介受けました。
藤木です。
前回、噛み付きが良かったのでまた若かりし頃のサッカー話をしたいと思います。
今日の話は20歳の頃の話。
20歳の夏、僕は2ヶ月間ブラジルのパラナ州ロンドリーナという町に短期のサッカー留学をしました。
ブラジル人が数名含まれた日本人チームでブラジル人コーチの下、トレーニングを行うというものでした。
偶然、その2ヶ月間に、そのチームはブラジルのサンタカタリーナ州で行われたUー20サンタカタリーナ国際大会に現地日本代表チームとして参加することになり、運よく僕もその大会に参加させてもらいました。
このチーム、コーチは静岡学園が95年に全国制覇(鹿実と同時優勝)したときのヘッドコーチのシウバがいて、選手には石田博行(元エスパルス:当時パラナ州で"ドリブルが上手い日本人のヒロ"といえばみんな知っているくらい上手かった)、久末(現ギラヴァンツ主将)などがいて、今振り返るとレベルは高かった・・・。
僕はシウバが日本にいたときに静岡学園と試合をしたことがあって、そのときの試合をシウバが覚えていてくれたおかげか大会期間中スタメンで試合に出る機会に恵まれました。対戦した相手はジェバ(アルゼンチン)、グレミオ(ブラジル)など南米中心の合計6チームで戦績は2分1敗(ブラジルなのに負けたら全員坊主とGMに言われ・・・ぎりロスタイム直接FKで引分けセーフなんてこともありました。)で3位という結果でした。
なかでもグレミオは0-6で負けたのですが、雨のスタジアムに田んぼみたいな足場でも関係なくパスをつなぎ、フィジカルもタフで、タックルも脚折られるんじゃないか?と試合中恐怖を感じるようでした。
で試合に負けると、副キャプテンが泣きながら「俺は勝ちたい。ここでプロになるしか道がない。」ってミーティングで言うんです。それを聞いて気持ちを奮い立たせても、でも怖くて試合で玉際逃げてる自分が本当に毎日情けなかった思い出があります。
有料の試合を初めてプレーしたのもこの時でした。
サンタカタリーナ国際大会の遠征の帰りに寄った町で(確かエスパーニャとかいうチーム相手だったか?)初めて有料試合をしました。
町中で聞こえるような大きな鐘が鳴るのです。それが1時間後にキックオフだという町中への知らせ。
やがて小さな町のスタジアムに町の人が集まります。
・・・この試合、僕が同点ゴールを決め1-1で終わったのですが、終了後にバスまでちびっ子が「オンゼ(ポルトガル語で11の意味)、オンゼ!」とサインをもらいにやってきました。
お金を払って観客が試合を観に来る・・・個人的にそんな実力ではありませんでしたが、貴重な経験でした。
さて、誰かが言っていましたが、ブラジルにも【PONER TUDO LA VIDA.】ていう言葉があります。
【人生をかけろ。】って意味です。
20才の僕ならシウバに「その玉際に人生をかけろ。」ときっと言われたでしょう(笑)。
我らが「スポルティーバつくば」は片手間で仕事やアルバイトをしたり、学生だったりとまだまだ未熟なチームですが、いつかサッカーに人生のすべてをかけた11人がピッチに立ち、町中のひとが足を運ぶような地域に根ざしたプロチームになれたらと思っています。
ちなみにシウバは今、名門サンパウロFCの育成部門の責任者としてU-12~15を指導しています。
カカやラフィーニャもその年代で育てたんです。
ということで長くなりましたが引き続き応援よろしくお願いします。
次はブラジルつながりで上島選手 Por favor!
藤木です。
前回、噛み付きが良かったのでまた若かりし頃のサッカー話をしたいと思います。

今日の話は20歳の頃の話。

20歳の夏、僕は2ヶ月間ブラジルのパラナ州ロンドリーナという町に短期のサッカー留学をしました。
ブラジル人が数名含まれた日本人チームでブラジル人コーチの下、トレーニングを行うというものでした。

偶然、その2ヶ月間に、そのチームはブラジルのサンタカタリーナ州で行われたUー20サンタカタリーナ国際大会に現地日本代表チームとして参加することになり、運よく僕もその大会に参加させてもらいました。
このチーム、コーチは静岡学園が95年に全国制覇(鹿実と同時優勝)したときのヘッドコーチのシウバがいて、選手には石田博行(元エスパルス:当時パラナ州で"ドリブルが上手い日本人のヒロ"といえばみんな知っているくらい上手かった)、久末(現ギラヴァンツ主将)などがいて、今振り返るとレベルは高かった・・・。

僕はシウバが日本にいたときに静岡学園と試合をしたことがあって、そのときの試合をシウバが覚えていてくれたおかげか大会期間中スタメンで試合に出る機会に恵まれました。対戦した相手はジェバ(アルゼンチン)、グレミオ(ブラジル)など南米中心の合計6チームで戦績は2分1敗(ブラジルなのに負けたら全員坊主とGMに言われ・・・ぎりロスタイム直接FKで引分けセーフなんてこともありました。)で3位という結果でした。
なかでもグレミオは0-6で負けたのですが、雨のスタジアムに田んぼみたいな足場でも関係なくパスをつなぎ、フィジカルもタフで、タックルも脚折られるんじゃないか?と試合中恐怖を感じるようでした。
で試合に負けると、副キャプテンが泣きながら「俺は勝ちたい。ここでプロになるしか道がない。」ってミーティングで言うんです。それを聞いて気持ちを奮い立たせても、でも怖くて試合で玉際逃げてる自分が本当に毎日情けなかった思い出があります。

有料の試合を初めてプレーしたのもこの時でした。
サンタカタリーナ国際大会の遠征の帰りに寄った町で(確かエスパーニャとかいうチーム相手だったか?)初めて有料試合をしました。
町中で聞こえるような大きな鐘が鳴るのです。それが1時間後にキックオフだという町中への知らせ。
やがて小さな町のスタジアムに町の人が集まります。
・・・この試合、僕が同点ゴールを決め1-1で終わったのですが、終了後にバスまでちびっ子が「オンゼ(ポルトガル語で11の意味)、オンゼ!」とサインをもらいにやってきました。
お金を払って観客が試合を観に来る・・・個人的にそんな実力ではありませんでしたが、貴重な経験でした。
さて、誰かが言っていましたが、ブラジルにも【PONER TUDO LA VIDA.】ていう言葉があります。
【人生をかけろ。】って意味です。
20才の僕ならシウバに「その玉際に人生をかけろ。」ときっと言われたでしょう(笑)。
我らが「スポルティーバつくば」は片手間で仕事やアルバイトをしたり、学生だったりとまだまだ未熟なチームですが、いつかサッカーに人生のすべてをかけた11人がピッチに立ち、町中のひとが足を運ぶような地域に根ざしたプロチームになれたらと思っています。

ちなみにシウバは今、名門サンパウロFCの育成部門の責任者としてU-12~15を指導しています。
カカやラフィーニャもその年代で育てたんです。
ということで長くなりましたが引き続き応援よろしくお願いします。
次はブラジルつながりで上島選手 Por favor!
Posted by スポルティーバつくば at 00:25│Comments(3)
この記事へのコメント
お金もらってサッカーできるんなら他要らないわぁ~
Posted by 白石健じん at 2010年04月07日 11:38
ジン、違うよ、ソレは…
お金をもらうって事は、それなりの責任が伴うんだから…
自分の中の甘えを捨てたいよね
県2部だからって気持ちじゃなくて、
常に上を意識したいっす(^0^)v
ただ、厳しさの中にも楽しさを忘れずに…
…上島?
お金をもらうって事は、それなりの責任が伴うんだから…
自分の中の甘えを捨てたいよね
県2部だからって気持ちじゃなくて、
常に上を意識したいっす(^0^)v
ただ、厳しさの中にも楽しさを忘れずに…
…上島?
Posted by ファンタジスタ at 2010年04月09日 09:19
一年の2/3をブラジルに住む人です。
背が高い。ポリスマン
DF
ダチョウ倶楽部じゃないよ(^_^)笑
背が高い。ポリスマン
DF
ダチョウ倶楽部じゃないよ(^_^)笑
Posted by ひざ at 2010年04月09日 21:59
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