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2010年04月29日
これからです
哲平です。
クラブチーム選手権が幕を閉じました。チーム一丸になって挑みましたが、残念ながら準優勝。
スタンドから温かい声援をおくって下さったサポーターやベンチから見守ってくれた選手、監督のために、なんとしても勝ちたかったのですが…。
結果が全てなので、まだまだ力不足はです。これから、日々のトレーニングで更にレベルアップをしないと、県リーグ、県知事杯も悔しい結果になりかねません。気持を切り替えて練習に励んでいこう。ベンチやスタンドで観戦していたメンバーは悔しい思いをしたことだと思います。シーズンはまだ始まったばかりです、皆にもチャンスは平等にあります。今日出場してたメンバーからポジションを奪う気持で練習で競いあっていきましょう。
この悔しさを忘れず、次なる目標に向かってチーム全員で戦い、二度と今回のような悔しい思いをしない戦いをしていこう。
最後に、大会期間中に応援に来て頂いた皆様にお礼申し上げます。
ありがとうございました。
クラブチーム選手権が幕を閉じました。チーム一丸になって挑みましたが、残念ながら準優勝。
スタンドから温かい声援をおくって下さったサポーターやベンチから見守ってくれた選手、監督のために、なんとしても勝ちたかったのですが…。
結果が全てなので、まだまだ力不足はです。これから、日々のトレーニングで更にレベルアップをしないと、県リーグ、県知事杯も悔しい結果になりかねません。気持を切り替えて練習に励んでいこう。ベンチやスタンドで観戦していたメンバーは悔しい思いをしたことだと思います。シーズンはまだ始まったばかりです、皆にもチャンスは平等にあります。今日出場してたメンバーからポジションを奪う気持で練習で競いあっていきましょう。
この悔しさを忘れず、次なる目標に向かってチーム全員で戦い、二度と今回のような悔しい思いをしない戦いをしていこう。
最後に、大会期間中に応援に来て頂いた皆様にお礼申し上げます。
ありがとうございました。
Posted by スポルティーバつくば at
23:12│Comments(1)
2010年04月29日
数時間後。
勝って笑っているのは間違いなくスポルティーバつくばでしょう!
試合に出る出ない関係なく全員で戦おう!
そして必ず勝とう!
試合に出る出ない関係なく全員で戦おう!
そして必ず勝とう!
2010年04月29日
Argentina

現代サッカーはボールの移動が著しく速いです。
いろんなところへボールが渡りましたが、ようやく足元に落ち着きました。
野本さんから南米つながりということでパスを受け取りました。
自分が行っていたチームはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから車で1時間くらいのラ・プラタという街にあるエストゥディアンテスというクラブです。今でさえみなさん見聞き覚えがあるかとおもいますが昨年末に行われたクラブワールドカップの南米代表です。
自分はその中でもクアルタ、レセルバというチームで練習していました。(トップから数えて3軍、4軍)
トップチームにはのちバイエルンへ移籍するホセ・ソサや現地ではメッシ+アグエロと騒がれていたピアッティという選手(現アルメリア)、森本のチームメイトのGKマリアーノ、また偉大な選手べロンがいました。代表選手も複数人かかえている強豪チームです。育成の世代も強いです。自分が居た頃のレセルバはリーグ戦で優勝しました。
アルゼンチンでサッカーをして思ったのは、選手個人個人の意識の違いです。
技術レベルで言ったら日本人も負けず劣らずのクオリティがあると思います。だけど試合になると使い物になりません。しかし、アルゼンチンの選手は少々荒削りではありますが、各々が自信を持っています。
「俺がこの中で一番うまい!」それを全員が思ってプレーしています。
だから特徴のある選手が育つんだと思います。コーチも短所ではなく長所をいつもピックアップしていきます。自分もなにかしら武器のある選手になりたいと思います。DFとしてはあまり意味ないかもしれませんが実はキック力が自分の武器です。
明日(というかもう今日か・・・)は負けられない決勝です!
スポルティーバがこれから成長していくのに落とせない試合だと思います。
自分は次の県知事杯からの登録ですが、そこへ向けてコンディションを上げています!
ぜひ決勝で勝利を掴んでください!!
では南米からちょっと飛んでシンガポールの栗原選手、お願いします。
2010年04月28日
アピール。
岬からのパスは受けとりました。
明日の試合おそらくスタンドは超満員の2万人ぐらいですか。
明日はいいアピールの場だと思います。
必ず試合に勝って明日間違いなく視察に来る岡田監督にアピールしましょう!
5月10日の代表発表前の最後の試合です。
出来れば三人ぐらい選ばれれば最高です。
とにかく明日は勝って一人でも多くの選手が代表に入り南アフリカ行きましょう!
この究極に難しいパスを決めてくれる選手、お願いします。
明日の試合おそらくスタンドは超満員の2万人ぐらいですか。
明日はいいアピールの場だと思います。
必ず試合に勝って明日間違いなく視察に来る岡田監督にアピールしましょう!
5月10日の代表発表前の最後の試合です。
出来れば三人ぐらい選ばれれば最高です。
とにかく明日は勝って一人でも多くの選手が代表に入り南アフリカ行きましょう!
この究極に難しいパスを決めてくれる選手、お願いします。
2010年04月28日
大樹サンから

センタリングきたー(゜▽゜)!!!
ピンポイントで冷岡へ!!
迷わず得意の
ヘディングで競り合い、
シュート!!!
残念ながらふかして
ゴールのはるか
上をいったー (笑)
こんなことがないよう、
決勝では
チャンスは確実に決めて
圧勝しちゃいましょう☆
では、ふかし知らずの
フォワード陣!!!
意気込みを
どうぞ(^人^)
画像は安福寺にて☆
Posted by スポルティーバつくば at
03:02│Comments(3)
2010年04月27日
今年も!!
新米パパさんからスルーパスきたんで走りこみます!!
はい、大樹です\(^O^)/
29日の決勝戦必ず勝って優勝します☆
クラブ選手権はアビラーションで一昨年は全国大会出場、昨年は福島県優勝し東北大会出場したが敗退で全国いけず…。
今年は地元つくばのチームで優勝して全国いきたいです!!
たかやだけでなくメンバー外の選手、監督、家族、自分の為に自分のできる事を頑張ります。
29日応援たくさん来て下さい。
宜しくお願いします!
ではあえて、ヘディングが武器の岬にクロスあげます。笑 宜しくね〜!!
はい、大樹です\(^O^)/
29日の決勝戦必ず勝って優勝します☆
クラブ選手権はアビラーションで一昨年は全国大会出場、昨年は福島県優勝し東北大会出場したが敗退で全国いけず…。
今年は地元つくばのチームで優勝して全国いきたいです!!
たかやだけでなくメンバー外の選手、監督、家族、自分の為に自分のできる事を頑張ります。
29日応援たくさん来て下さい。
宜しくお願いします!
ではあえて、ヘディングが武器の岬にクロスあげます。笑 宜しくね〜!!
Posted by スポルティーバつくば at
23:43│Comments(1)
2010年04月27日
29日負けられない戦い!
パスカットの得意な新米パパ10ヶ月です。
どうもブログ更新が滞りぎみなので、
どうだろう…
今から選手一同、29日に向けての意気込みを書いていくってのは…
賛成!
ということで、書きます。
立場・年齢上もっと先頭に立ってチームを引っ張っていくべきなのですが、
チーム及び関係者には、多大なご迷惑を掛けております。
せっかく決勝という舞台を用意していただいたので、
出場機会が与えられれば、チームの勝利に貢献したいと思います。
”常陽新聞”にオレのコメントを載せてやるっ
あと、不名誉な退場処分で決勝に出れない坊さんのために、
みんなで彼に関東大会を準備してあげましょう!
あとあと、不慣れな中でチームを引っ張ってくれている監督A・監督Bを、
『男』にしてあげましょう!!
さぁ、みんなで盛り上げよう☆
どうもブログ更新が滞りぎみなので、
どうだろう…
今から選手一同、29日に向けての意気込みを書いていくってのは…
賛成!
ということで、書きます。
立場・年齢上もっと先頭に立ってチームを引っ張っていくべきなのですが、
チーム及び関係者には、多大なご迷惑を掛けております。
せっかく決勝という舞台を用意していただいたので、
出場機会が与えられれば、チームの勝利に貢献したいと思います。
”常陽新聞”にオレのコメントを載せてやるっ
あと、不名誉な退場処分で決勝に出れない坊さんのために、
みんなで彼に関東大会を準備してあげましょう!
あとあと、不慣れな中でチームを引っ張ってくれている監督A・監督Bを、
『男』にしてあげましょう!!
さぁ、みんなで盛り上げよう☆
Posted by スポルティーバつくば at
09:16│Comments(5)
2010年04月17日
Paraguay
稲若選手からのセンタリングを慌ててトラップした野本です。
書くネタがみんなより少ない男なので、前回同様留学時代の話をします。
ドイツ留学を色々なトラブルがあり、不本意な形で帰国した2008年の冬、再び海外でのプレーを望んでいた俺に『南米のパラグアイでプレーしてみないか?』という話が舞い込んできました。
すぐに承諾し真冬の日本から真夏のパラグアイへ向かい、着いてすぐリブレと呼ばれているチームに合流し連日練習に明け暮れました。
リブレとは所属チームが無い選手達が集まるチームで、スカウトや監督が見守る中朝からずっと紅白戦を行い、活躍すれば引き抜かれていきました。
周りの選手はとにかく契約を勝ち取る為、基本パスを出さずに目に見える結果を求めていました。時には味方も敵となり、敵からボールを奪った直後に味方に体をぶつけられボールを奪われたことも幾度もありました。
結果を出さない限りどのチームからもオファーはない、そう思った自分は11対11ではなく21対1だと考え、ボールを持ったらシュートまで持ち込み・デタラメなスペイン語で要求し・時には味方からボールを奪ってでもアピールを続けました。
パラグアイは1部から4部までがプロリーグで、連日アピールを続けた結果こんな俺にも4部のチームに練習に参加できるチャンスが舞い込んできます。
結局その4部のチームと契約を結び、1シーズンプレーすることになりました。
ちなみにチーム名はRECOLETAと言い、かつて1部にも所属した古豪で、転がり落ちて4部まで降格していましたが1部時代の名残りで大型バスやグラウンドなど4部にしては環境は良かったです。
40人近い選手達とポジション争いをし、中々出場機会は恵まれませんでしたがいつも前日に召集される21人には入っていました。ただそこからが難しく、思うように試合に出れない日々が続きます。
僅かなチャンスしかないまま前期が終了し、後期に向けて頑張ろうと考えていた俺に同じくサブで仲が良い選手が『俺達はこれから1ヶ月間、誰にも負ける事は許さない』と話しかけてきました。
その言葉の意味を、翌週のグラウンドで理解しました。
それから1ヶ月間、南米で契約書というものは『絶対に守られるもの』というわけではないことを思い知らされる1ヶ月を俺は体験することになります。
・・・長くなったのでこの辺りで終わります、続きはまた今度(あるのなら)。
明日はクラブチーム選手権大会の3回戦、チーム一丸となって絶対に勝ちましょう!
次回の書き込みは、同じく南米関係でアルゼンチンに留学経験のあるこの間新加入したDFの渡邉卓矢選手(漢字間違えてたらごめんなさい)にお願いします!
書くネタがみんなより少ない男なので、前回同様留学時代の話をします。
ドイツ留学を色々なトラブルがあり、不本意な形で帰国した2008年の冬、再び海外でのプレーを望んでいた俺に『南米のパラグアイでプレーしてみないか?』という話が舞い込んできました。
すぐに承諾し真冬の日本から真夏のパラグアイへ向かい、着いてすぐリブレと呼ばれているチームに合流し連日練習に明け暮れました。
リブレとは所属チームが無い選手達が集まるチームで、スカウトや監督が見守る中朝からずっと紅白戦を行い、活躍すれば引き抜かれていきました。
周りの選手はとにかく契約を勝ち取る為、基本パスを出さずに目に見える結果を求めていました。時には味方も敵となり、敵からボールを奪った直後に味方に体をぶつけられボールを奪われたことも幾度もありました。
結果を出さない限りどのチームからもオファーはない、そう思った自分は11対11ではなく21対1だと考え、ボールを持ったらシュートまで持ち込み・デタラメなスペイン語で要求し・時には味方からボールを奪ってでもアピールを続けました。
パラグアイは1部から4部までがプロリーグで、連日アピールを続けた結果こんな俺にも4部のチームに練習に参加できるチャンスが舞い込んできます。
結局その4部のチームと契約を結び、1シーズンプレーすることになりました。
ちなみにチーム名はRECOLETAと言い、かつて1部にも所属した古豪で、転がり落ちて4部まで降格していましたが1部時代の名残りで大型バスやグラウンドなど4部にしては環境は良かったです。
40人近い選手達とポジション争いをし、中々出場機会は恵まれませんでしたがいつも前日に召集される21人には入っていました。ただそこからが難しく、思うように試合に出れない日々が続きます。
僅かなチャンスしかないまま前期が終了し、後期に向けて頑張ろうと考えていた俺に同じくサブで仲が良い選手が『俺達はこれから1ヶ月間、誰にも負ける事は許さない』と話しかけてきました。
その言葉の意味を、翌週のグラウンドで理解しました。
それから1ヶ月間、南米で契約書というものは『絶対に守られるもの』というわけではないことを思い知らされる1ヶ月を俺は体験することになります。
・・・長くなったのでこの辺りで終わります、続きはまた今度(あるのなら)。
明日はクラブチーム選手権大会の3回戦、チーム一丸となって絶対に勝ちましょう!
次回の書き込みは、同じく南米関係でアルゼンチンに留学経験のあるこの間新加入したDFの渡邉卓矢選手(漢字間違えてたらごめんなさい)にお願いします!
Posted by スポルティーバつくば at
18:12│Comments(3)
2010年04月13日
客観的な感想。


センターバックをやりながら緊張している上島君のへにょへにょパス、確かに受け取りました稲若です。
約一週間前にアルゼンチンから帰国しました。
仕事で行ったんですが、ほぼ毎日サッカーする時間を作り練習してました。
お陰さまで体はきれきれでございます。
今回アルゼンチンで、元アルゼンチン代表シメオネやキリと会って来ました。
日本にいたら感じない事もアルゼンチンにいたら感じる事ができ充実していました。
話は変わり、先週仕事で行けなかったためこの前の試合後、結果が気になって藤木監督に電話しました。
結果20ー1。
そこで感じたのは、なんで20点もとって1点取られるのか。
皆さん最初の公式戦初戦覚えていますか?
5ー1。
この時は自分も出ていたので、覚えていますが力の差は明らか。
だけどはじめがボールを奪われて、一本のパスから一対一。
おそらくそんな試合をしていたら昇格は難しいのでは。
去年いたメンバーはよくわかっているのでは?
おまえ練習来てから言ってくれ!と言われそうですがあくまで個人的な意見です。
厳しいリーグ戦になればなるほど、おそらくその一点がものを言うと思います。
野沢君やジンの攻めている時のコーチングが重要になり、
しょうごや哲平君、岬の指示やリーダーシップも必須です。
次の試合は是非0に押さえましょう!
監督、気を引き締めて下さい。
次のアルゼンチンからのセンタリングを受けるのはこの人!
南米つながりで、鬼太郎君。じゃなくてパラグアイの野本選手よろしく!
2010年04月12日
ブラジルから来たデクノボウ
藤木君から紹介受けました上島です。
浅川さんから試合中『ウシ、ウシ』と呼ばれていましたが実は『ウエジ(マ)』です。
仕事は、不特定多数の方々が閲覧できるネット上では公言できない難しさもありますのでその点皆様ご配慮の程よろしくお願いします。
また会った時、口頭にて練習中に、マークの受け渡し時に、コーナーのつばぜりあい中にでもゆっくりお話しましょう。
さて自己紹介させていただきます。
小学校6年間は空手。
小4&小6時は全日本ジュニア空手道選手権でベスト8、小5時はベスト4まで進み大会委員長であった鳩山邦夫氏から表彰され、さらにソウル五輪テコンドー技術委員副会長で恩師でもある佐々木珀龍先生(故人)から『世界を目指せ』と言われながらも中学では野球部員として3年間練習試合も合わせて6打数1安打の大活躍をし高校からようやくサッカーを始めました。
高校でも3年間通じて公式戦(新人戦)にFWとして2分出場の大エースとして君臨したため、幾多もの大学から誘いを受けたのですが静岡の公立大学のテニスサークルの宴会部長&美食倶楽部副部長を兼ねながらサッカー部に所属、主に右サイドベンチ(後半は左サイド)を主戦場としていました。
大学1年時に、藤木選手と国体静岡県代表選手セレクションを受け(野澤選手は運転手)藤木選手はFKを含む4得点と大暴れ(自分は前日のテニスサークル追いコンで大暴れ)にも関わらず落選、帰りの電車で今でも忘れない藤木選手の名言『悔しいな、ウエジ、ブラジル行くか?夢は逃げない、逃げるのは自分よ』が飛び出しブラジルロンドリーナにサッカー留学。
さらに大学卒業後は帰国後に知り合ったブラジル人、フィジカルトレーニングコーチのマルコスから『フジキ、ウエジ、チャンスアル、ブラジルクルカ?』の一言で内定していた就職先を蹴りブラジルサンパウロ州三部リーグRadiumFCに六ヶ月間サッカー留学。
帰国後はサッカーを諦め六ヶ月間の勉強の末今の会社に合格し人生を淡々と送っているようで運も良く今はブラジル日本を行き来しながらまだまだ青春しております。
とりあえずブラジルには行ってますが、足元の技術はサッカーのものでなく空手の方だけは自信あり、それと高校卒業後に身長が伸びたためかなりの遅咲きでまだ実は開花してないかもしれませんので、その点もご配慮のほどよろしくお願いします。
この一年間も引き続き生活の大半はブラジルにいる為、顔を出せない事も多いかもしれませんが、参加時にはケガせずケガさせず……一生懸命やりたいと思いますのでよろしくお願いします。
長くなりました。
次に誰を指名したらいいのかわかりませんので、藤木監督に一先ずボールを預けますので誰か前に飛び出してください。 藤木監督はそれを無視しシュートしちゃうかもしれませんが………
(藤木)「ということで→南米大陸からまた行きましょう。稲若選手よろしくGracias!

浅川さんから試合中『ウシ、ウシ』と呼ばれていましたが実は『ウエジ(マ)』です。

仕事は、不特定多数の方々が閲覧できるネット上では公言できない難しさもありますのでその点皆様ご配慮の程よろしくお願いします。
また会った時、口頭にて練習中に、マークの受け渡し時に、コーナーのつばぜりあい中にでもゆっくりお話しましょう。
さて自己紹介させていただきます。

小学校6年間は空手。

小4&小6時は全日本ジュニア空手道選手権でベスト8、小5時はベスト4まで進み大会委員長であった鳩山邦夫氏から表彰され、さらにソウル五輪テコンドー技術委員副会長で恩師でもある佐々木珀龍先生(故人)から『世界を目指せ』と言われながらも中学では野球部員として3年間練習試合も合わせて6打数1安打の大活躍をし高校からようやくサッカーを始めました。

高校でも3年間通じて公式戦(新人戦)にFWとして2分出場の大エースとして君臨したため、幾多もの大学から誘いを受けたのですが静岡の公立大学のテニスサークルの宴会部長&美食倶楽部副部長を兼ねながらサッカー部に所属、主に右サイドベンチ(後半は左サイド)を主戦場としていました。

大学1年時に、藤木選手と国体静岡県代表選手セレクションを受け(野澤選手は運転手)藤木選手はFKを含む4得点と大暴れ(自分は前日のテニスサークル追いコンで大暴れ)にも関わらず落選、帰りの電車で今でも忘れない藤木選手の名言『悔しいな、ウエジ、ブラジル行くか?夢は逃げない、逃げるのは自分よ』が飛び出しブラジルロンドリーナにサッカー留学。

さらに大学卒業後は帰国後に知り合ったブラジル人、フィジカルトレーニングコーチのマルコスから『フジキ、ウエジ、チャンスアル、ブラジルクルカ?』の一言で内定していた就職先を蹴りブラジルサンパウロ州三部リーグRadiumFCに六ヶ月間サッカー留学。

帰国後はサッカーを諦め六ヶ月間の勉強の末今の会社に合格し人生を淡々と送っているようで運も良く今はブラジル日本を行き来しながらまだまだ青春しております。

とりあえずブラジルには行ってますが、足元の技術はサッカーのものでなく空手の方だけは自信あり、それと高校卒業後に身長が伸びたためかなりの遅咲きでまだ実は開花してないかもしれませんので、その点もご配慮のほどよろしくお願いします。

この一年間も引き続き生活の大半はブラジルにいる為、顔を出せない事も多いかもしれませんが、参加時にはケガせずケガさせず……一生懸命やりたいと思いますのでよろしくお願いします。

長くなりました。
次に誰を指名したらいいのかわかりませんので、藤木監督に一先ずボールを預けますので誰か前に飛び出してください。 藤木監督はそれを無視しシュートしちゃうかもしれませんが………

(藤木)「ということで→南米大陸からまた行きましょう。稲若選手よろしくGracias!
Posted by スポルティーバつくば at
21:36│Comments(1)
2010年04月07日
つくばからプロチーム
紹介受けました。
藤木です。
前回、噛み付きが良かったのでまた若かりし頃のサッカー話をしたいと思います。
今日の話は20歳の頃の話。
20歳の夏、僕は2ヶ月間ブラジルのパラナ州ロンドリーナという町に短期のサッカー留学をしました。
ブラジル人が数名含まれた日本人チームでブラジル人コーチの下、トレーニングを行うというものでした。
偶然、その2ヶ月間に、そのチームはブラジルのサンタカタリーナ州で行われたUー20サンタカタリーナ国際大会に現地日本代表チームとして参加することになり、運よく僕もその大会に参加させてもらいました。
このチーム、コーチは静岡学園が95年に全国制覇(鹿実と同時優勝)したときのヘッドコーチのシウバがいて、選手には石田博行(元エスパルス:当時パラナ州で"ドリブルが上手い日本人のヒロ"といえばみんな知っているくらい上手かった)、久末(現ギラヴァンツ主将)などがいて、今振り返るとレベルは高かった・・・。
僕はシウバが日本にいたときに静岡学園と試合をしたことがあって、そのときの試合をシウバが覚えていてくれたおかげか大会期間中スタメンで試合に出る機会に恵まれました。対戦した相手はジェバ(アルゼンチン)、グレミオ(ブラジル)など南米中心の合計6チームで戦績は2分1敗(ブラジルなのに負けたら全員坊主とGMに言われ・・・ぎりロスタイム直接FKで引分けセーフなんてこともありました。)で3位という結果でした。
なかでもグレミオは0-6で負けたのですが、雨のスタジアムに田んぼみたいな足場でも関係なくパスをつなぎ、フィジカルもタフで、タックルも脚折られるんじゃないか?と試合中恐怖を感じるようでした。
で試合に負けると、副キャプテンが泣きながら「俺は勝ちたい。ここでプロになるしか道がない。」ってミーティングで言うんです。それを聞いて気持ちを奮い立たせても、でも怖くて試合で玉際逃げてる自分が本当に毎日情けなかった思い出があります。
有料の試合を初めてプレーしたのもこの時でした。
サンタカタリーナ国際大会の遠征の帰りに寄った町で(確かエスパーニャとかいうチーム相手だったか?)初めて有料試合をしました。
町中で聞こえるような大きな鐘が鳴るのです。それが1時間後にキックオフだという町中への知らせ。
やがて小さな町のスタジアムに町の人が集まります。
・・・この試合、僕が同点ゴールを決め1-1で終わったのですが、終了後にバスまでちびっ子が「オンゼ(ポルトガル語で11の意味)、オンゼ!」とサインをもらいにやってきました。
お金を払って観客が試合を観に来る・・・個人的にそんな実力ではありませんでしたが、貴重な経験でした。
さて、誰かが言っていましたが、ブラジルにも【PONER TUDO LA VIDA.】ていう言葉があります。
【人生をかけろ。】って意味です。
20才の僕ならシウバに「その玉際に人生をかけろ。」ときっと言われたでしょう(笑)。
我らが「スポルティーバつくば」は片手間で仕事やアルバイトをしたり、学生だったりとまだまだ未熟なチームですが、いつかサッカーに人生のすべてをかけた11人がピッチに立ち、町中のひとが足を運ぶような地域に根ざしたプロチームになれたらと思っています。
ちなみにシウバは今、名門サンパウロFCの育成部門の責任者としてU-12~15を指導しています。
カカやラフィーニャもその年代で育てたんです。
ということで長くなりましたが引き続き応援よろしくお願いします。
次はブラジルつながりで上島選手 Por favor!
藤木です。
前回、噛み付きが良かったのでまた若かりし頃のサッカー話をしたいと思います。

今日の話は20歳の頃の話。

20歳の夏、僕は2ヶ月間ブラジルのパラナ州ロンドリーナという町に短期のサッカー留学をしました。
ブラジル人が数名含まれた日本人チームでブラジル人コーチの下、トレーニングを行うというものでした。

偶然、その2ヶ月間に、そのチームはブラジルのサンタカタリーナ州で行われたUー20サンタカタリーナ国際大会に現地日本代表チームとして参加することになり、運よく僕もその大会に参加させてもらいました。
このチーム、コーチは静岡学園が95年に全国制覇(鹿実と同時優勝)したときのヘッドコーチのシウバがいて、選手には石田博行(元エスパルス:当時パラナ州で"ドリブルが上手い日本人のヒロ"といえばみんな知っているくらい上手かった)、久末(現ギラヴァンツ主将)などがいて、今振り返るとレベルは高かった・・・。

僕はシウバが日本にいたときに静岡学園と試合をしたことがあって、そのときの試合をシウバが覚えていてくれたおかげか大会期間中スタメンで試合に出る機会に恵まれました。対戦した相手はジェバ(アルゼンチン)、グレミオ(ブラジル)など南米中心の合計6チームで戦績は2分1敗(ブラジルなのに負けたら全員坊主とGMに言われ・・・ぎりロスタイム直接FKで引分けセーフなんてこともありました。)で3位という結果でした。
なかでもグレミオは0-6で負けたのですが、雨のスタジアムに田んぼみたいな足場でも関係なくパスをつなぎ、フィジカルもタフで、タックルも脚折られるんじゃないか?と試合中恐怖を感じるようでした。
で試合に負けると、副キャプテンが泣きながら「俺は勝ちたい。ここでプロになるしか道がない。」ってミーティングで言うんです。それを聞いて気持ちを奮い立たせても、でも怖くて試合で玉際逃げてる自分が本当に毎日情けなかった思い出があります。

有料の試合を初めてプレーしたのもこの時でした。
サンタカタリーナ国際大会の遠征の帰りに寄った町で(確かエスパーニャとかいうチーム相手だったか?)初めて有料試合をしました。
町中で聞こえるような大きな鐘が鳴るのです。それが1時間後にキックオフだという町中への知らせ。
やがて小さな町のスタジアムに町の人が集まります。
・・・この試合、僕が同点ゴールを決め1-1で終わったのですが、終了後にバスまでちびっ子が「オンゼ(ポルトガル語で11の意味)、オンゼ!」とサインをもらいにやってきました。
お金を払って観客が試合を観に来る・・・個人的にそんな実力ではありませんでしたが、貴重な経験でした。
さて、誰かが言っていましたが、ブラジルにも【PONER TUDO LA VIDA.】ていう言葉があります。
【人生をかけろ。】って意味です。
20才の僕ならシウバに「その玉際に人生をかけろ。」ときっと言われたでしょう(笑)。
我らが「スポルティーバつくば」は片手間で仕事やアルバイトをしたり、学生だったりとまだまだ未熟なチームですが、いつかサッカーに人生のすべてをかけた11人がピッチに立ち、町中のひとが足を運ぶような地域に根ざしたプロチームになれたらと思っています。

ちなみにシウバは今、名門サンパウロFCの育成部門の責任者としてU-12~15を指導しています。
カカやラフィーニャもその年代で育てたんです。
ということで長くなりましたが引き続き応援よろしくお願いします。
次はブラジルつながりで上島選手 Por favor!
Posted by スポルティーバつくば at
00:25│Comments(3)
2010年04月04日
孫子ツー
パスを受け取りました。
自分は靭帯断裂して切れたままなんです(-.-;)
将来は早めに変形性膝関節症になって痛みに苦しむことでしょう(>_<)
ではメッセージを投げっぱなしにします。調べて下さい(^O^)
其の無備を攻め、其の不意に出づ。
最近はこんなことを考えて戦っています。
また意味の分からないカキコミですが、迷わず進んでいきますo(^-^)o
次は藤木さんにお願いします!
自分は靭帯断裂して切れたままなんです(-.-;)
将来は早めに変形性膝関節症になって痛みに苦しむことでしょう(>_<)
ではメッセージを投げっぱなしにします。調べて下さい(^O^)
其の無備を攻め、其の不意に出づ。
最近はこんなことを考えて戦っています。
また意味の分からないカキコミですが、迷わず進んでいきますo(^-^)o
次は藤木さんにお願いします!
Posted by スポルティーバつくば at
20:03│Comments(2)
2010年04月02日
4月2日の記事
カザさんからパスを受けました瀬ノ尾です。
12月に靭帯損傷をしリハビリ生活を終え3月に無事復帰することができました。
ケガをして学んだこと…
それは、足の不自由な方にはもっと優しくしてあげることです。
電車で席を譲ったり、ドアの開閉をするだけでも不自由な身としてはすごく助かります。
見知らぬ方でしたが、助けてくれてありがとう!!
今サッカーができてすごい幸せです♪やっぱりおじいちゃんになっても蹴り続けたいなと思います(笑)
それでは、靭帯損傷経験のある須藤監督にパスを送ります。よろしくお願いします!
12月に靭帯損傷をしリハビリ生活を終え3月に無事復帰することができました。
ケガをして学んだこと…
それは、足の不自由な方にはもっと優しくしてあげることです。
電車で席を譲ったり、ドアの開閉をするだけでも不自由な身としてはすごく助かります。
見知らぬ方でしたが、助けてくれてありがとう!!
今サッカーができてすごい幸せです♪やっぱりおじいちゃんになっても蹴り続けたいなと思います(笑)
それでは、靭帯損傷経験のある須藤監督にパスを送ります。よろしくお願いします!
Posted by スポルティーバつくば at
11:19│Comments(2)