2010年09月07日
海外
こんばんは、前回同様知らない内にブログを回されていた野本です。
栗原選手が書いた『世界で活躍する』自分になれるかどうかはわかりませんが、随分昔から世界でサッカーをしたいと思っていました。
キッカケは98年に中田英寿選手がイタリアへ移籍した以降、テレビで日本国外のサッカーが見れる機会が増えました。偶々家では衛星中継が見られたので、ブンデスリーガ/プレミアリーグ/セリエA/リーガ・エスパニョーラなどの試合を毎日のように見ていたのを覚えています。
本格的に海外でのプレーを考えたのは専門学校を卒業する前だと思っている人が多いかもしれませんが、実は18歳の時に一度チャンスがあったんです。
『プロジェクト・ザール』という01/02シーズンからスタートしたドイツサッカー留学プロジェクトがあり、有名な選手は2期生の湘南ベルマーレ所属の鈴木伸貴選手がいます。
自分は3期生セレクションを18歳の時に応募し、一時選考を無事通過。
最終選考は静岡・御殿場でプロジェクトの最高責任者のドイツ人が見てくれる事になりました。
今までほとんどセレクションというものを受けたことがなかった自分は『とにかくコンディションを最高にしよう』と考え、最終選考までの間に無茶なトレーニングをし続けました。
ほとんど休むことなく走りこみやトレーニングを続けた結果、身体にはキレがありましたが同時に違和感もあったんですが、合格したい一心で見ないふりをしていました。
そしてついにセレクション……自分自身驚くぐらい動けて、これはいけるんじゃないかと思った瞬間……『ビリッ』という音が自分の太もも裏からはっきりと聞こえました。
その場で当然の如くアウト、大げさですが今まで生きてきた中で一番の痛みでした。
3期生セレクションも当然選考外になり、自分のドイツ挑戦は呆気ない形で終わりました。
目標を失った自分は19~20歳を思い出したくもないような自堕落な生活を送り、色々あって立ち直った21~22歳をスポーツの専門学校に通って、95%就職していく同級生と同じく就職……するつもりが、このままサッカーを辞めたら後悔すると思い就職活動すらしませんでした。
サッカーを続けると決心した時『日本ではなく海外で』と決めていましたが、目指した場所が18歳の時に一度は諦めたドイツになるとは想像もしてませんでした。
ただ色々自分で探した結果、条件が一番合ったのがドイツであり、18歳から数えて4年越しにドイツへ留学することになったのが07年の7月。
あれから3年以上が過ぎ、南米のパラグアイを経由して今はスポルティーバつくばでお世話になっています。
怪我をするなど未だにチームの勝利に貢献できてはいませんが、一日でも早く練習に復帰してチームの目標である1部リーグ昇格の為頑張ります。
では、栗原選手のご指名の最後は舘野選手にお願いします!
栗原選手が書いた『世界で活躍する』自分になれるかどうかはわかりませんが、随分昔から世界でサッカーをしたいと思っていました。
キッカケは98年に中田英寿選手がイタリアへ移籍した以降、テレビで日本国外のサッカーが見れる機会が増えました。偶々家では衛星中継が見られたので、ブンデスリーガ/プレミアリーグ/セリエA/リーガ・エスパニョーラなどの試合を毎日のように見ていたのを覚えています。
本格的に海外でのプレーを考えたのは専門学校を卒業する前だと思っている人が多いかもしれませんが、実は18歳の時に一度チャンスがあったんです。
『プロジェクト・ザール』という01/02シーズンからスタートしたドイツサッカー留学プロジェクトがあり、有名な選手は2期生の湘南ベルマーレ所属の鈴木伸貴選手がいます。
自分は3期生セレクションを18歳の時に応募し、一時選考を無事通過。
最終選考は静岡・御殿場でプロジェクトの最高責任者のドイツ人が見てくれる事になりました。
今までほとんどセレクションというものを受けたことがなかった自分は『とにかくコンディションを最高にしよう』と考え、最終選考までの間に無茶なトレーニングをし続けました。
ほとんど休むことなく走りこみやトレーニングを続けた結果、身体にはキレがありましたが同時に違和感もあったんですが、合格したい一心で見ないふりをしていました。
そしてついにセレクション……自分自身驚くぐらい動けて、これはいけるんじゃないかと思った瞬間……『ビリッ』という音が自分の太もも裏からはっきりと聞こえました。
その場で当然の如くアウト、大げさですが今まで生きてきた中で一番の痛みでした。
3期生セレクションも当然選考外になり、自分のドイツ挑戦は呆気ない形で終わりました。
目標を失った自分は19~20歳を思い出したくもないような自堕落な生活を送り、色々あって立ち直った21~22歳をスポーツの専門学校に通って、95%就職していく同級生と同じく就職……するつもりが、このままサッカーを辞めたら後悔すると思い就職活動すらしませんでした。
サッカーを続けると決心した時『日本ではなく海外で』と決めていましたが、目指した場所が18歳の時に一度は諦めたドイツになるとは想像もしてませんでした。
ただ色々自分で探した結果、条件が一番合ったのがドイツであり、18歳から数えて4年越しにドイツへ留学することになったのが07年の7月。
あれから3年以上が過ぎ、南米のパラグアイを経由して今はスポルティーバつくばでお世話になっています。
怪我をするなど未だにチームの勝利に貢献できてはいませんが、一日でも早く練習に復帰してチームの目標である1部リーグ昇格の為頑張ります。
では、栗原選手のご指名の最後は舘野選手にお願いします!
Posted by スポルティーバつくば at 01:18│Comments(1)
この記事へのコメント
へ~
Posted by ! at 2010年09月08日 11:23
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